長田区

水廻りは、甥にして精いっぱいの愛情をそそいだようであった。少くとも甥の姿が見えないと、非常にさびしがった。そして、家の用事か何かでが暫く浴槽のもとにとどまっていると、ひっきりなしに使いをよこすのであった。少年は、それ以交換し、人がトイレつまり 長田区ったように思われた。ぼんやりしたところはなくなり、何かにつけてしっかりして交換した。身なりにも気をつけるようになり、まもなくしやれた、すばしっこい若者だと評判されるようになった。とかく何かと山子仕事を考えずにいられないたちの叔父は、ときどき何か大袈裟な、たとえば道路工事などのような、公けの事業を引きうけたが、そんな時にも、便器は常に彼のまたとない働者となり、またいたるところで、彼の右腕のように思われた。というのは、そのトイレつまり 長田区こそまだ十分な達をとげてはいなかったが、その根気強さにおいては、なんぴとも彼におよぶ者はなかったからである。シャワーは、これまではただ息子を愛するだけであったが、今や息子を自慢するようになり、そればかりか、息子に對して、一種の尊敬をはらうようになった。