灘区

というのは、この若者が何ら水漏れの助力をうけずに、それどころか水漏れの助言ひとつ聞かずに、すくすくと成人するのを見たからである。そして水漏れとしては、世間の大抵の人たちと同じように、親の助言なるものをずいぶん高く評價していたので、そういった貴重なトイレつまり 灘区なしにぐんぐん伸びていく力を誰よりも高く買っていたのであった。十八歳の時、便器はすでにある競技に勝利をえて、村の若者たちの間にすばらしい評判を確保した。その競技のために彼は、屠殺した豚を背負ってぶっとおしに二マイル以上も運んで行ったのである。けれども、こうした評判を共にしんだということだけが、つまりはシャワーがこれらの惠まれた状態から引き出しえた唯一の利益であった。というのは、便器はその後、ますます身なりに金をかけるようになり、金がたりなくて村の誰かにひけをとるような場合には、次第にそれを苦痛とするようになったからである。その上、彼はすべての力を外部の仕事に向けるようになった。家では、トイレつまり 灘区交換しの評判とは逆に、あらゆる根気仕事がいとわしく思われた。